TOP > 修平の独り言 > 自民党府議団に入団しました!

修平の独り言

自民党府議団に入団しました!

令和2年12月18日(金)

 

これまでを振り返り、これからを見据えて。

振り返りますと、25歳から政治の道を志し、早や22年余りが経ちました。大阪府議会への初めての挑戦は「惜敗」という苦い経験をいたしましたが、その後4年間の地道な活動をお認めいただき、平成15年に初当選させていただきました。
以来、30歳の若輩者に河内長野市選挙区のたった一つの議席をお与えいただいたという感謝の気持ちを胸に、自らの人生の全てを賭して、「ご恩返し」していこうと心に誓いました。

そして、これまで府議会においては、大阪府・市の二重行政の解消をはじめ、コロナ禍における休業要請「対象外」事業者への支援、氾濫する有害情報から子どもたちを守るために「青少年健全育成条例」の改正に旗を振り、ひとり親家庭を支援するための「養育費の肩代わり制度」の構築など、「毎議会、新提案」をモットーに常に建設的な質疑を心掛けてまいりました。

地域においては、花の文化園でのイルミネーション事業や滝畑ダム湖底での「地酒熟成」など官民連携の促進、「南花台スマートシティ構想」の推進や奥河内くろまろの郷の「道の駅」化。
さらには、赤峰トンネルの開通や堺へのアクセス道路の推進、国道371号バイパスの全線開通に向けた工期の大幅短縮といったインフラ整備など、何事にも積極的に取り組んでまいりました。
そして、河内長野をはじめ奥河内を舞台にした映画「鬼ガール!!」の誘致と製作を主導し、全国公開後の今も、次なる活性化策を模索しているところです。

これら全ての取り組みにおいて、西野修平だけで実現し得たものではありませんが、常に先頭に立って推し進めてまいりました。こうした数々の仕事が全うできたのも、お支えいただいている皆様方のお力添えの賜物であり、あらためて深く感謝申し上げます。

平成29年からは政党に属さず、無所属という立場で大阪府政や河内長野市政の課題を俯瞰的に見つめてまいりました。その課題解決に向け、一定の成果を見出すことはできたものの、「限界」を感じることも多々ありました。
特に、河内長野市をはじめ南河内地域に目を向けると、人口減少や産業流出などが顕著であり、これらは大阪府だけで克服できる課題ではありません。
今後は「大阪南部高速道路」の誘致や、私自身が提唱し推進する高野山~南河内~新大阪をつなぐ鉄道の相互乗り入れ「レガシーライン」の実現、河内長野市南花台で先進的に取り組む「自動運転乗り合い車両」の本格運行や「河内長野スーパーシティ構想」など、国との連携や規制緩和が必要な施策が山積しています。

そのような中、政府・自民党とのパイプをより強固にしていくことこそが、今後の南河内地域の再生を実現し、引いては、私をお育ていただいた皆様への最大の「ご恩返し」につながると確信するに至りました。
そして、「大阪都構想」の議論が「終結」したことを受け、本日12月16日付で「自由民主党・無所属 大阪府議会議員団」に入団(復団)いたしました。
なお、自民党への復党の意思は、決して「大阪都構想」の是非を問う住民投票の結果によるものではなく、以前よりその意志を固め、後援会長をはじめ、然るべき方々には事前にお伝えしていたことを併せて申し添えさせていただきます。

政治家は所属政党が変わると、「信念がない」などの批判を受けます。その批判は甘んじてお受けします。ただ、所属政党が変わる理由のほとんどが「次の選挙に当選したいため」です。
しかし、私のこれまでの行動はすべて「逆」で、選挙のことだけを考えると、むしろリスクの高い方を選択しています。同じ政党に在籍し続けることも立派な「信念」ですが、今、自分自身が信じる道を歩むことも「信念」だと考えています。

この度の西野修平の「決断」に対し、何卒、皆様方の深いご理解を賜りたく、心よりお願い申し上げる次第です。
これからも、感謝の気持ちを忘れず、驕らず、誠心誠意、職務に邁進することを固くお誓い申し上げます。
末筆ながら、皆様方にはくれぐれもご自愛くださいますようお祈り申し上げ、ご挨拶といたします。

▲平成15年の大阪府議会議員初当選時

▲平成15年の大阪府議会議員初当選時

▲産経新聞朝刊(地域面)

▲産経新聞朝刊(地域面)

▲読売新聞朝刊(地域面)

▲読売新聞朝刊(地域面)

▲

▲毎日新聞朝刊(地域面)